
・ 東京・秋葉原で生まれ育った私は、文字通りの「ラヂオ少年」でした。子供の頃に見たアメリカのコメディー・ドラマ 「ギリガン君 SOS」 の中で、主人公のギリガン(船員)が乗ったクルーズ船がエンジントラブルで漂流し、たどり着いた島でラジオを無線機に改造して SOS を出すシーンを見て、無線に興味を持ちました。
・ 1971年に東京都台東区でアマチュア無線局 JE1BQE を開局し、1976年に富山県魚津市で JA9QZH も開局しました。それからずっと無線を楽しんでいます。今の仕事(無線機の設計)も、この子供の頃からの趣味の影響を大きく受けています。
・ 普段は聞こえない場所の電波が、突然、聞こえるミステリアスな 50MHz バンドと、闇夜の中のロウソクの炎のように、雑音の中でもはっきり聞こえるモールス符号によるトン・ツー通信が大好きです。
・ 1976年に西ドイツから JE1BQE/DL、 DK0RA を運用して以来、東・西統一後のドイツ DL/JE1BQE、アメリカ合衆国 W4/JE1BQE、W6/JE1BQE、W7/JE1BQE、W9/JE1BQE、サイパン KH0/JE1BQE、KK6RT/KH0、小笠原諸島 JD1BOO、韓国 HL3ZCG など、海外からもアマチュア無線を楽しんでいます。
・ 趣味が高じて・・・ 自分が理想とする無線機やアンテナの設計をしたくて、1987年に株式会社アンプレット(現在の アンプレット通信研究所)を起業し、現在に至ります。
・ 現在、日本各地で開催される無線通信に関する セミナー の講師を担当したり、日本大学大学院 理工学研究科 にて、「先端技術特論(無線工学とアンテナ工学)」の講義を行っています。
私のプロフィール
1980年に日産自動車株式会社、1981年に東京大学生産技術研究所、1984年に日立湘南電子株式会社、株式会社日立製作所に勤務。1987年に株式会社アンプレットを設立し代表取締役社長に、2016年にアンプレット通信研究所を設立し代表に就任。携帯電話、RFID、アンテナ、人体通信機器、ミリ波レーダなどの設計に従事。
株式会社アンプレット設立後は、東京電機大学の非常勤講師、東京大学の特任研究員、国内外の無線通信機器メーカー、携帯電話メーカー、アンテナメーカーの役員や技術顧問を兼務。現在は、アンプレット通信研究所 の所長、人体通信コンソーシアム の主催者、人と車と家をつなぐ V2HH研究会 の主催者、日・韓 合同 人体通信研究会 の日本側幹事、日本大学大学院 理工学研究科 特別講師(先端技術特論)、峰光電子株式会社 の技術顧問を務める。
(上記文章は、日経BPのホームページで公開されている根日屋英之の紹介と同内容です。)
私のアマチュア無線局

第1シャック JE1BQE 200W 固定局
QTH : 東京都台東区(JCC#100106 / GL PM95VQ)
開局年 : 1971年

第2シャック JE1BQE 1kW 固定局
QTH : 神奈川県川崎市多摩区(JCC#110305 / GL PM95SP)
開局年 : 1971年

第3シャック JE1BQE 50W 移動局
QTH : 千葉県いすみ市(JCC#1238 / GL QM05EF)
開局年 : 1971年

第4シャック JA9QZH 100W 固定局
QTH : 富山県魚津市(JCC#2804 / GL PM86QT)
開局年 : 1976年

第5シャック JD1BOO 1kW 固定局
QTH : 東京都小笠原村母島(JCG#10007 / GL QL16BP)
開局年 : 2013年

第6シャック HL3ZCG 100W 固定局
QTH : 大韓民国大田広域市(KDN#R05 / GL PM36QI)
開局年 : 2014年